今回はミュージカル記事ではございません。
まさかの大河ドラマです。

しかも、
2004年の放送なので、なんともう11年前ですか。
「新選組!」であります。

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※画像はお借りしました


放送当時、当方は10代。
それがこのごろになって、
ふと松田龍平のデビュー作『御法度』を観て新選組熱がブワッと蘇り、
10年前、それはそれは好きだった、大河ドラマ「新選組!」に再びハマったのであります。 

色々と語りたい感想はありますが…。
10年経ったからこそ感じる思いがたくさんありましたねえ。
その中でもね、山本耕史の土方歳三は、なんだかまったく違った印象をもちました。 


放送当時、私はご多分に漏れず、
沖田総司役の藤原のたっちゃんが大好きで大好きで大好きでたまらず、
総司といい感じになるおひでちゃんを恨めしく思ったものです。
(いまだに吹石一恵を見ると胸がざわめく。)

最終回までキッチリ見たんだけども、
あの"群像劇感"が好きだったので、その中の一人である土方に特別な思い入れもなく、
ファンの要望で実現したという「新選組!! 土方歳三最後の一日」にも別段惹かれなかったんです。


あの頃の自分、

バカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


今、49回全部見返して、はじめて「最後の一日」を見て、
もうこの「最後の一日」だけで、新選組の全ては語られているじゃないか。
と思ったのです。

その前に、学生時代さんざん真似してた主題歌を改めて聴いて、
「これ、土方の歌じゃん…」と。

するともう、この49回すべてが土方の物語に思えてきて、
近藤の最後のせりふも、より一層の意味を含んだものになりました。

10年経ってこんな見方ができるようになり、
コレがおとなになることか、と、
おとなになって良かった、とはじめて思いましたよ。


さて10年が経ち、新選組!は土方の物語だと思えたとき、
実は、演じている山本耕史さんになんとも言えぬ違和感を感じました。

歴史ファンからも大絶賛され、ぜひ函館編も!とスペシャル版まで作られた、山本土方。
正直に申しますとわたしは、49回目が終わるそのときまで、
なんだかモヤモヤ、土方というひとが分かるようで分からない気持ち
を覚えていたんです。


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※画像はお借りしました

この違和感の正体に気づいたのが、「最後の一日」でした。
その気づきは、山本耕史というひとのスゴさを思い知るものでした。

大河ドラマのキャスティングというのは、
たとえば「織田信長ってこういう人」というだいたいの共通見解(先入観)が国民の中にあって、
そこにどう俳優を合わせてくるか、だと考えていたんですね。

わたしも、この10年の内に『燃えよ剣』や『御法度』をはじめとする色んな新選組モノを読んで見て、
知らず知らずのうちに土方歳三のイメージができていました。

だから、10年ぶりに新選組!を見るとき、無意識に、
「わたしの中の土方歳三のイメージを、山本耕史はどれだけ実現してくれるのだろう?」
と思っていたわけです。
この気持ちは大河に限らず、
漫画や小説の映画化・舞台化といった"実写化"に対して多くの人が抱くものでしょう。


でも山本土方は、共通見解を体現した姿でも、かといって素の山本耕史でもなかった。
きっと「本当の土方歳三はこうだったんだろう」と思える土方だったのです。

とあるブログで、
「土方歳三役の俳優には代々、歳三の霊が憑依する」
という言葉を見つけて合点がいったのですが、
山本耕史の状態はほんとうに、その言葉通りだと思いました。

自分の中のイメージとも、国民の共通見解とも、
似ているようでどこか違う。

これが10年ぶりに「新選組!」を見て感じた違和感の正体でした。

(※7/20追記
言ってみれば、会社とかで超ツンケンしてて近寄りがたくて、
周りから「あの人性格悪いらしいっすよ」とか噂されてる超美人のキャリアウーマンが、
サシで飲んでみたら実はすっごいいい人だったみたいな。
ビールで乾杯して、日本酒1合差しつ差されつして、2合目頼もうかくらいのタイミングで感じる、
「あれ、この人本当はいい人なんじゃないの…?」という勝手なあの違和感です(笑)。)


まったく、はじめて会う土方。
なのに、これこそが本物の土方歳三なんだろうなと思わせる。


鬼の副長たる冷徹な表情を見せたかと思えば、
山南さんの死後、子どものような泣き顔でしゃくりあげ、
寺田屋大騒動ではテンションの高いお芝居、
近藤周斎(田中邦衛)のモノマネをしてみせたり、
自分が男前だと疑わなかったり。


この土方の描き方のベースにある、脚本・三谷幸喜さんの考えは、
「最後の一日」の中の、土方と榎本武揚の会話に表現されていると思います。

土方「俺にはどうしても分からねえ。あんたという人間だよ」
榎本「そりゃそうだろ。私だってまだ自分が分かっちゃいない。お前さんに分かるはずがない」

土方「一時でも榎本武揚に近藤勇を重ねた自分が恥ずかしい(中略)悪いが、あんたとは違う」
榎本「当たり前だ。私は榎本武揚だ」

とあります。

人の人生、たった1年間ダイジェストで見せたところで、
現実に生きていた土方歳三という人のすべてが分かるはずはない。

だって、土方歳三は設定に沿って作られたキャラクターなのではなく、
確かに歴史の中を生きていた一人の人間なのだから。
三谷さんは、それをちゃんと理解していたんだろうなと思うのです。

そう考えるとこのドラマは、
土方という人と1年かけて仲間になるためのドラマ
だったとさえ感じます。
普通の人同士が友達になる過程のように、
いいところ、どうしてもムカつくところ、なんだか許しちゃうところ、尊敬するところ…
見て感じて、ぶつかって、だんだんと心を通わせる。

こうして49回を見終わったとき、視聴者はすっかり土方の仲間になっていて。
「最後の一日」で土方が「この戦、勝てる」と言ったとき、
視聴者も榎本や隊士たちと同じように、
「本当に勝てるかもしれない」「土方がいれば、大丈夫かもしれない」
と奮い立ったんだと思います。


こうして丹念に、大胆に描かれた土方歳三。
『燃えよ剣』を読んでも、山本耕史は浮かばないけど、
たぶん八木邸や五稜郭に行ったら、山本土方が思い浮かぶでしょう。

まったく新しい土方像を見事に演じきった山本耕史は、
"実写化"の限界を超えたすごいひとなのです。



もうとにかく感服いたしまして。
となれば、今度は逆です。

「土方イメージに合う役者」を探すのではなく、
「山本土方のイメージ」に合う読み物を探す始末。

堂々巡りですね。
本物の土方歳三に会う以外、他はないと知りつつも。






 ※7/20追記
これほどの山本土方像を作ってくれた三谷幸喜さん。 
来年の「真田丸」が楽しみすぎてたまりません!!!! 
内野聖陽サマと山南さん(堺さん)と洋ちゃんが並ぶなんて眼福だ〜。