しばらく多忙にしていたり海外ドラマにハマっていたり(ex.ダウントン・アビー)、
福岡のローカルバラエティ「ゴリパラ見聞録」にどハマりしたりで、
滞りがちでしたミュージカルブログ。

だた、年末に出会った『オペラ座の怪人』は、未だ記憶に鮮やかですね。
一生忘れられない出会いです。


さてさて…思い出したように、記事をアップしてみます!

上記のように色々浮気しながらも、『オペラ座の怪人』の25年記念公演inロンドンのことを忘れられないのですね。
どうしてこの作品にこんなに惹かれるんだろうと思います。
舞台の燃え&萌えどころは前回の記事で思う存分語ったので、 物語自体を考えてみます
(ちなみに原作を読んでいないので、色々おかしいかも)。


はじめ、オペラ座の怪人は、主人公であるクリスティーヌが、
ファントムに投影していた父親の影から卒業する、
ファザーコンプレックス要素がベースにある話だと思ってたのですが、
何度も見ているうちに、 ファントムが"母親"から卒業する物語でもあるのでは?と思い始めました。

これは、ひとえにファントムを演じたラミンさんのせい!!!
眉の動かし方から指の運び方ひとつにしても、あんなに母性本能をくすぐる方っていませんよ。


観進めるうちにですね、ファントムはクリスティーヌに、
本来ならば母親から与えられるはずの無償の愛を求めていたのかなと思ったのです。

特筆したいのは第二幕シーン9 ファントムの台詞
"This face,
which earned a mother's fear
and loathing...
A mask,
my first unfeeling scrap
of clothing... "
母にも嫌いぬかれて マスクで醜さ隠され


生まれ持った異形のせいで、母親にマスクをかぶせられたファントム。
マスクは母親からの拒絶に他ならないわけで、
母親に愛されなかったという深い深い傷が、
ファントムの心を歪めてしまった元凶なのだと思います。

きっとお母さんにさえ愛されていれば、
マスクこそすれファントムは普通にオペラ作家として地上で暮らしていたでしょう
(映画版のジェラルド・バトラーなら尚更。だって十分イケメンだもん!)


ファントムが欲しかったのはきっとそれだったんですよね。 
本来なら母親から与えられるはずの無償の愛。


だのに、拒絶の象徴たるマスクを最初に与えたのが、
子どもにとっての全世界であるべき母親で、
そのマスクを剥がして、生身の自分にキスを与えてくれたのがクリスティーヌだった。
全ての元凶だった醜い顔に触れてくれた。
普通の子供なら、ママから何百回とされているはずの慈しみのキス。

世界でいちばん当たり前のことであるはずなのに、
どうしてこんなに遠い遠い回り道をしなければならなかったのでしょう。





こんなことを思いながら「ファントムゥゥゥゥ!!」と半泣きで観ててですね、
ふとよぎったのが、萩尾望都の漫画『トーマの心臓』の中に出てきた、

「僕はずっとお母さんからのたったひとつのキスが欲しかった」

ってセリフなんです。



 

クリスティーヌがファントムに与えたキスは、
「美女と野獣」や「蛙の王子」といいたおとぎ話であるところの、
魔法を解く手続き的なものもありつつ、
お母さんから最初に受ける慈しみのキス、って意味合いも含まれているのかなあと。


ファントムとクリスティーヌが互いに抱く感情がどうしても単なる恋だとは思えなくて。
ファントムは潜在的な母親からの愛をクリスティーヌに求めていて、
同時にクリスティーヌは、少なからず母性本能を感じたのでは?と思ったのです。


それもこれも、すべてはラミンさんのファントム造形が素晴らしかったから。
母性本能をくすぐるんです。それはそれは強烈に…。
感情のコントロールができずに暴走しちゃったり、
かと思えば、怯える子どものように哀しく微笑んだり。
ラミンさんのファントムだから、クリスティーヌの行動が母親のそれに見えたわけで。


思えばクリスティーヌの話に母親は出てこないし、
ファントムの話には父親が出てこない。

この作品は、ふたりそれぞれの父母の役割を、お互いに負っているのでしょうか。


だとしたら、もう絆がスゴすぎて、
いよいよラウルはファントムに一生勝てません。
恋人や夫婦を超えた、へその緒でつながってる関係。
「歌」でつながっているとかそんなレベルじゃない。

ああ、だんだんラウルがかわいそうな感じになってきました。
だってラウルは絶対両親に愛されてるもん。
じゃなかったら、クリスティーヌがパパから贈られた音楽の天使について遠い目で喋った後に、
「よし、じゃあメシ食いに行こうぜ!」
なんて言えないよ。

愛を疑わないある意味楽天家な彼だからこそ、
そんな、誰かから100%愛された経験を持つ人だからこそ、
クリスティーヌは自分を委ねられたのだと思うけど…。



でもね、これもファントムの立場からすると、
「自分の愛する人の幸せを願う」みたいな少女漫画的レベルを超えて、
生物学的に可哀想なの。

クリスティーヌは母親の役割を一時的には果たしてくれたわけですが、
最終的にクリスティーヌは最終的にラウルの元に行ってしまうわけですから、
息子(=ファントム)が、どーやっても父親(=ラウル)に勝てない図式が成立してしまうわけですね。

辛すぎるラミn…ファントム。







だから好き!ラミンファントム!!!
男は女に母性を感じさせてこそなんぼです!